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 ゴンは絵本をじょうずに読みたがる。わたしはゴンの読みかたが心地よかった。低い声と奇妙な抑揚、時たま混じる笑い声。ゴンは読み聞かせてるのではない、一緒に読んでいるのだ。教科書のような「じょうず」に、なるわけがなかった。子どもたちとともに読んでいるから、おもしろいところで笑う、悲しいところで泣きそうになる。それは子どもたちと対等であることを示しているように思う。同じ気持ちに「なろうとする」わけではない。きっとゴンだから、子どもと一緒に泣いたり笑ったり怒ったりできるのだ。

 あれから度度幼稚園を訪れるようになったわたしは、保育士や園児たちとも仲良くなっていった。また園児たちから「お兄ちゃん」と呼ばれていたゴンも、気づけば「ゴン」だった。わたしの呼びかたが流行ったのだ。
 ただ保育士たちからゴンがどう呼ばれていたのかわたしは知らない。園児たちの前で彼を示すには「お兄ちゃん」以外の最適な言葉がなかったから。ゴンに名前を聞いても、あだ名を気に入ったらしいゴンは「ゴン」と答えるばかりだった。園児たちから呼んでもらえたことが嬉しかったのだろう。ゴンの名前は、ゴンになっていた。

 ゴンは幼稚園の子どもたちをすべて把握していた。名前ばかりか、それぞれの好む絵本まで記憶していたのである。
 絵本を読むだけでなく、外で遊ぶこともあったが、やはり大半はゴンと絵本と子どもがワンセットだった。読む絵本はすべてゴンの私物で、毎回変化する絵本のすべてが彼の家にあるものだという。図書館のようだと言うとゴンは笑った。

「そうだね、図書館、かも」
 マウンテンバイクをたてて、大きな手が赤い泥よけの上に取りつけられた金網を払うように撫でる。
「大きいんでしょ、本棚も」
「天井まであるよ」
 身体の大きいゴンは苦もなく高い段に手をのばすのだろうと想像して、首筋が熱くなった。なにかをごまかすように耳に触れると、ひやりと柔らかい。夏へと近づきつつある町の夕方は、心地よい涼しさだった。
 ゴンが絵本の入ったリュックサックをいつもどおりハンドルにかけ、サドルをまたぐ。そうして名前を呼ばれたわたしが金網に座ると、マウンテンバイクはなめらかに走りだした。

 個人的に幼稚園を訪れるようになって三度目のある日、くすんだ赤いマウンテンバイクに不格好な荷台が現れた。ゴンの手作りであった。わたしの席だと言った彼は笑顔で、もどかしい嬉しさが肺を圧して息苦しい。しかしありがとうと言おうとして顔をあげたわたしはついふきだした。古びてはいつつもスタイリッシュなデザインのマウンテンバイクに荷台が無理矢理つけられた姿はなんとも滑稽であったのだ。

 滑稽な荷台ががたがたと揺れ、振動が伝わる。ゴンの背中は今日も広かった。背に手のひらを渡して目を閉じると左からさしこむ夕陽が頬を焼く熱に気づいた。思い出したのははじめて二人乗りをした坂道。あの日ゴンが読んでいたのは「ゆうひのしずく」だった。キリンとアリが出会ってはじめて見える別の世界。
(ゴンがキリンでわたしがアリなのか、アリは幼稚園の子たちなのか)

 ひたいをゴンの背中に押しつける。じっと黙ると静かに鼓動が聞こえてきた。——

 ゴンに絵本を読んでもらいたいと、唐突に思う。……名前を読んでほしいとも、思う。



090930
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