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その幼稚園は次の土曜日がお楽しみ会であった。ボランティアの学生が手作りした飾りが囲う園内で、子どもたちが遊ぶのだ。(わたしがひたすら伸ばした折り紙の鎖はそのためであった)また、子どもたちの親がかわいらしい縁日を作り、ゲームやイベントを催すのだとも聞いた。
——例の七度目の土曜日。「彼」が二冊目の絵本を読み終える頃、優しい目元の若い保母が、お楽しみ会に参加しないかとわたしに声をかけたのだった。
「え、いいんですか」
「いいのよ。遊びに来てね」
柔らかな声のかの女はにこりと笑うと、絵本を片づける男のほうへと歩み寄った。わたしは二人のくちが動いているのを視界に映しながら、来週の今日のことを考えていた。
バスを降り横断歩道を渡れば、「みさき幼稚園」に到着する。
腰ほどの低い塀に囲まれた幼稚園の駐車場はそう広くない。そこに多くの自家用車が窮屈そうに停められていた。入り口のそばには、新しくはないマウンテンバイクが外壁に寄りかかっている。それを横目にガラスの引き戸を引くと、園児の賑やかな声が外へと溢れ出た。そのとき出入り口に通りかかった保母がこちらに気づき、ぱっと目を明るくした。
「ああ、来てくれたのね」
「こんにちは」
軽く会釈してパンプスを脱ぐ。靴をすみにそろえ立ちあがると、保母は園内の一角へわたしを導いた。小さな椅子とそれにふさわしい高さのテーブルが設置されている。前の土曜日に黙黙と作業した配置とほとんど同じであったが、もちろんテーブルの上に折り紙の短冊とスティック糊はなかった。代わりにあるのは厚紙とクリップ、カラーペンである。疑問を目に保母を見ると、かの女は至極丁寧に説明してくれた。
飛び入り参加のボランティア学生は名札をつけなければならないそうだ。名刺サイズの厚紙にピンクのカラーペンで名前を書く。
(大きくはっきりと、ひらがなで)
諸注意を思い返しながらゆっくりと手を動かす。書き終えた小さな紙を見れば、ピンクが悪あがきめいたなんとも地味なカードであった。目玉クリップでチュニックの胸元にカードをとめると、保母は楽しんでねと優しい声で言い残し園児たちのもとへ戻っていった。その背を眼で追い、継いであたりを見渡した。
はじめに眼に入ったのは輪投げをして遊ぶ園児。次は楽しそうに動く若い母親たち。賑やかな笑い声とたまに聞こえる泣き声に保母らも動きまわっている。しかしゆっくりと場所を移していた視界の片隅で、数人の園児がかたまって座りこんでいた。不思議に思って近づいてゆくと、どうやら絵本の読み聞かせをしているようである。聞き覚えのある声に更に歩を進めると、彼が、いた。
(ごんぎつねの男子だ)
相変わらず拙い声である。否、もしかしたら、幾度も詰まるこの速度がかえって園児には良いのかもしれないが。急いた気持ちが静まるような声であった。
周囲の華やかさが遠ざかってゆく。不思議な声はさながら子守唄なのだ。
——ふと陰った様子に、はっとして顔をあげる。先ほどまでおとなしく座っていた園児たちはすでに散っていた。そして正面には、彼が立っていた。ずいぶんと長身だ。そして肩幅も広い。名札のカードは見あたらなかった。頭一つと少し大きい彼の顔を見あげると、みぞおちの疼く思いがした。
血の沸く、音がした。
「……ゴンって呼んでいい?」
わたしの声はやけに頭に響いた。はっきりとした声であった。
「うん」
ゴンはただ一言うなずくと、継いでわずかに身を引き首をかしげた。しぐさを探ると、なるほど、わたしの名札を見ているのだ。背の高い彼に見えるよう指先でカードを斜め上にかたむけると、彼はくしゃっと笑って言った。
「こんにちは、あやこちゃん」